ウクライナ、ロシア戦争が始まってはや2年と数ヶ月。ロシアが撤退を余儀なくされる場面になり、中国はウクライナに対して援護を強めていった。中国はロシアとの国交を断絶し、西側諸国と足並みと捉える形となった。その背景には、戦勝国の利権の甘い汁を吸うというおこぼれをもらうためであった。中国はどんな形でも利益につながることは何でもやってきた。発展途上国にインフラ整備すると言ってはそこに中国人労働者を派遣して全てを中国の利益として持っていった。その発展途上国に残るのは借金とずさんなインフラ設備だけであった。

そんなこんなでどんどん貪欲化する中国は台湾に侵攻してきた。ここで驚いたことにアメリカが手を貸さなかったことだった。自国の負担を負いたくないという考えであった。それを知った中国は日本の九州全域を手中に治めるのであった。日本人も戦ったが、戦後のアメリカによる教育により日本人はもうすでに骨抜き状態にされていたのであった。日本は九州と本州を結ぶ関門橋を壊し、一度休戦することとなった。

ここで日本はいわゆる「非核三原則」があることが壁となった。これには物議を醸したが、ここは日本人、反物質爆弾は無理なのか?という結論に至った。

そして秘密裏にその研究は始まった。六角柱に面という面から電場を与えて反物質を真空の容器のど真ん中におさめることに成功した。収納量は約10g。これを如何に中国に打ち込むかが問題となった。そして、反撃されないほどに叩く必要があった。

そして独自ルートにて中国側の基地の情報を日本側は掴んだ。あとはどうやって打ち込むかだ。とりあえず一つの案が出たのがICBMのステルス化であった。最新鋭のステルス塗料などは日本でも作っていた。よってその案は採用された。あとはデコイだ。デコイを本命の前に敵の弾数を減らして少しでも着弾させる可能性を上げる必要があった。デコイを始めに同じ地点に多数打ち込みそれから本命のヤツを打ち込むこととした。それからこれらの打ち込みの作戦は同時刻に行うことにした。そうすることによって敵の反撃スピードを遅らせることができるからだ。

こうして作戦は実行された。着弾すると1800兆ジュールのエネルギーで中国の基地とその周辺はことごとく焼土と化した。これによって中国側の士気は大いに下がった。しかし日本の九州に配備されている中国軍は報復にでた。潜水艦からSLBMの核を東京に打ち込んだ。日本側も大きくダメージを受けた。しかしそれでも日本軍の士気は衰えなかった。

今度は地上戦へとシフトしていった。これで死傷者は両軍とも増えたが、中国軍は中国本土からの武器弾薬が届かず、ますます中国軍は疲弊していった。そして日本は九州の奪還を果たすのであった。

この時の反物質爆弾による反動により多量の黄砂が日本に飛来したそうな。

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